日本神話の中には、「女性の主体性」が表現されている場面が、
いくつか描かれている。例えば、大国主(おおくにぬし)の神を巡る神話の一コマ。ここではオオアナムジの神と呼ばれる。多数の兄弟達が、評判の八上(やかみ)ヒメに求婚する為に、
出雲から遙々と因幡に赴く。
この時、オオアナムジの神は旅に必要な用具などを兄弟から
押し付けられ、それを袋に入れて背負い、一行の後ろにトボトボと
従っていた。ところが八上ヒメは、兄弟神達にキッパリと言い放つ。
「私はあなた達とは結婚しません。オオアナムジの神と結婚します」と。
鮮やかな逆転劇だ。
勿論、物語はこの後、更に再逆転、再々逆転とドラマチックな
展開を見せる。
だがそれはともかく、ここで八上ヒメの“主体性”が遺憾なく
発揮されている点は、見落とせない。たった一言で、わざわざ出雲からやって来た多くの神々を、
スッパリと“振って”みせた。
だけでなく、自分の方から結婚相手を名指ししたのだ(しかも、
実際にこの後、結婚している)。
女性の主体性が一方的に排除されている“男尊女卑”の社会では、
このような神話は生まれないはずだ。男尊女卑の「男系社会」だったシナ文明との違いは、
こうした辺りからも窺うことが出来る。【高森明勅公式サイト】
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